ミニマリズムと読書ときどき映画と音楽。

ミニマリスト見習いのアラサー女。最小化計画の進捗と、本・音楽・映画の感想

BREAK「今」を突き破る仕事論(川内イオ、2017)

BREAK!「今」を突き破る仕事論

 

 世界王者と自分との違いは何だろう

 

高校時代、水泳部だった。ほとんど趣味レベルで夏だけ泳いでいたわたしでも、オリンピックを見れば、「何が違うとこんなに速くなるんだろー!」とアレコレ考えたものだ。

フォームがどうだ、筋肉のつき方がどうだと、目に見えるところはいくらでも分析できる。ある程度マネもできる。でも、そこまで速くはならない。そりゃそうだ、練習量が天と地の差なんだから(笑)

 

練習量が違う。

と書けば単純だけど、よくよく考えれば、練習量って色んな要素が絡んでいるのだ。

時間、集中力、質、体力、モチベーション、テンション、計画性etc.…練習量を増やすには、あらゆる力を高めないといけない。

 

無理ムリむり!

やっぱり小さい頃から才能があって、一流のトレーニングを積んできて、メンタルもめちゃくちゃ強くないと世界一にはなれないんだ。

と、凡人のわたしは観客席に留まることに甘んじているわけだ。

 

しかし、没頭し熱中している間に観客席からコートに降り、世界王者まで登り詰めちゃった元凡人さんたちがいる。

この本には、そんな元凡人・現世界王者10名のストーリーが綴られている。

 

ボクサーやバリスタ、ゲーマーは世界大会があるのは有名だけど、フロマジェやヨガ、DJにも大会があるとは知らなかった。色んな分野で極めてる人がいるんだなぁと、知らない世界を覗けるのも単純に面白い。

 

突き抜けるというテーマに関しては、圧倒的な没頭と、「自分にとっての最高」を目指すことが共通していた。

何よりも没頭がすごい! 本当に夢中で、ただ純粋に「うまくなりたい」「強くなりたい」という思いでトレーニングをしている。それはもはや努力とは違うのだ。

 

「教科書がない以上、自分の内なる心の声と対話しながら磨いていくしかない。」

 

これは解説の楠木氏の言葉だ。

世界王者にもなると、他人との比較という次元ではなくなるらしい。自分という、最も手強い敵と対峙することになる。

 

凡人のままでいたくない。

人生で1回は何かを達成したい。

 

そういう思いがある人は、世界王者10名のストーリーに飛び込んでみると、「突破」のヒントが見つかるかもしれない。

 

ドラッカー流「フィードバック」手帳(井坂康志、2016)

自らをマネジメントするドラッカー流「フィードバック」手帳

Amazonレビューを鵜呑みにしてはいけません。

 

いやぁ…ドラッカーというワードとAmazonでの評価の高さに引っ掛かってしまいました。お恥ずかしい限りです。

 

ハウツー本なのに、高みを狙い過ぎてハウツー本になりきれていない。という致命的ミス!

 

正直、フィードバック手帳がどういうものなのか、スパッと伝わってこない。ハウツー本としてはここ数年読んだ中でかなりレベルが低い。

著者が超優秀なのは分かるし、ドラッカーも相当勉強してるんだろうということも分かる。でも読者は、言ってしまえば「ドラッカーに一度取材で会っただけ」の人が講釈を垂れるなんてこと、全く望んでいないと思う。少なくともわたしは望んでいない。

 

フィードバック手帳のやり方だけ教えてくれればいいんですよ。だって、ドラッカーの教えはドラッカーの本を読めばいいんだからさ…

 

てな感じで、この本の評価高いのおかしいでしょ…とAmazonレビューを見直してみて、もうガックリですよ。

 

よくよく読んだら、星5つ付けてるのってほとんど関係者ですよねコレ

 

いやー怖い。ネット怖い。Kindleだけで即買いするの危険すぎる。本屋で立ち読みしてから決めないとね!(本屋さんに謝れ)

ノックの音が(星新一、1985)

ノックの音が

もっと人間に関心をもとうと思います。

 

前回の「シャンデリア」に続いてショートショート。小さい頃から長編ばっかり読んでいたけど、最近ショートショートが気になる存在なのです。

 

そのきっかけは、先月参加してみた「ショートショートを書いてみよう」ワークショップ。

本好きなら誰しも一度は小説を書いてみたいと思うはず。現に、小中学生のときは創作文を書くのが好きだった。でも大人になってからは、そういう遊びはしなくなってしまった。熱烈に書きたいテーマがあるわけでもないし、プロを目指すわけでもないから、何を書いたらいいのか見当もつかない。書き方も分からない。こんな感じで、「素人は小説を書く意味がない」という謎の思い込みに囚われていたというわけ。でも、よくよく考えたら、ただの趣味に意味も何も必要ないじゃん!ということで、ウッウキでワークショップに参加したのです。

 

いやぁ、難しいんですよショートショート…短いから簡単と思ったら大間違いですよ。

何よりスピード感。実際に書いてみると、言葉選びも展開も、イメージしてたよりも5倍くらいスピードを上げないと終わらない。ズルズル長くなって「起」だけであっという間に数ページになってしまう。人物像と場面設定を少ない言葉で表現するには、語彙力とセンスがかなり高くないと厳しい。

でもショートショートなら数時間で書けて楽しいし、良い気分転換になりそう。案の定、もっと上達したいなぁという欲がむくむく湧いてくるんですね、人間というのは。そんなこんなで、「ショートショートの神様」星新一氏の作品を初めて読んでみた、というわけです。

 

このショートショート集には、文字どおり「ノックの音」から始まる15篇が収録されている。

どれくらいのテンポで書いてるのか分からないけど、1つのテーマからよくこんなに物語を生み出せるよなぁと感嘆した。全く展開がまとまらなかった自分と比べると、想像力の差があまりに歴然としていて尊敬しかできない! 上達するには、普段からもっと想像力を働かせないといかん!

そしてやっぱり、文章に無駄がない。言葉づかいや小物、外見の描写でパッと人物を浮かび上がらせる表現力。うーむ、これは語彙力と観察力の賜物ですな。

 

あ、話が面白いのは言うまでもないです。

 

実際にいろいろ考えながら書いてみて分かったことは、「小説家って、めちゃくちゃ人間を気にしてるんだな!」ということ。人間を好きか嫌いかは別として、周りの人間を見ながらあーだこーだ考えたり想像したりしてることは間違いないと思う。内向型が多いのかな? じゃぁわたしにも上達の見込みがあるかな?(笑)

 

そんあこんなで、ワークショップで書き終わらなかったショートショートの構想を練り直しながら、Kindleストアで次の星新一作品を選ぶのでした。

 

シャンデリア(川上未映子、2017)

シャンデリア (Kindle Single)

遂に読みました。

 

初・川上未映子さん。

 

売れているのは知っていたけど、読んだことがなかった。いや、売れているから読んでなかった、という方が正しいかな。最近は「売れている作家には手を出さない」というスタンスもだいぶ崩れてきたんで、その小さく決壊した部分に今回は川上さんが入り込んできたというわけです。

 

“売れっ子作家”の川上さんになぜ興味をもったのかというと、NHKの達人達という番組で「君の名は。」の新海監督と対談しているのを見たからだ。どちらかと言えば、アニメの世界に興味が湧いて新海監督目当てで見始めたんだけど、川上さんの強烈な個性に釘付けになってしまった(もちろん新海監督もなかなかの濃さなんだけどね)。超独特のペースで話し続けながらも、仕事人としての一面も垣間見える。そして何とも言えない色気…

 

「この人に、この世界はどう見えてるんだろう」

単純にそこに興味が湧いた。

 

この小説はいわゆるショートショートの部類で、Kindle Singlesで発表された書き下ろし。デパートとタクシーという極めて狭い範囲で、主人公の女性の心の淀みが鋭く描かれている。

 

主人公の女性は、ぽっと手に入った大金を毎日デパートで景気よく遣っている。老いを覆い隠すかのように着飾った老女たちを軽く蔑みながら、自分も同じように高級品で身を固めている。そうしながら、死にたくなっている。

大金が手に入る前から、特に人生に希望をもっているわけではなかった。そこに大金が入って、自分の上っ面だけ高級に、キレイになった。でも、ブランドシューズの下の足が見窄らしいように、彼女の内面も貧弱なままで希望は湧かない。それをいちばん分かっているのは自分で、だから彼女は死にたがっている、というか死んでもいいと思っている。金で買える高級品で身を固めても、自分に価値があるのか分からない。むしろ、価値なんてないと思っている。だから彼女は死んでもいいと思っている。

 

川上さん、公式サイトでは「トム・フォードのココア・ミラージュが情熱の核」と言っている。

 

ココア・ミラージュは1万円もするアイシャドウなわけで、他にも凡人のわたしは知らないようなブランド品がいくつも登場する。それを見て回って試着したり買ったりしている主人公を想像すると、なんとも「惨めだなぁ」と思うわけだ。でも、川上さんならむしろ相応しいくらいに感じる。

どうして主人公は相応しくないんだろう?とふと思った。誰が買ってもココア・ミラージュはココア・ミラージュだし、誰が遣っても1万円は1万円だ。主人公にココア・ミラージュは相応しくない、という思いは、どうして湧いてくるんだろう。

 

この感覚はきっと、主人公が金持ちの老女を蔑んでいる感覚と似ている。「自分よりも価値のなさそう」な人間が「価値が高いとされているもの」で身を固めていることへの蔑みを感じると同時に、価値に固執している自分に気付いて嫌悪感を抱く。いやぁ川上さん、人間の暗部をえぐるよねぇ…と脱帽だった。

 

とまぁ、タラタラ所感を語ってみたけど、川上さんがどういう意図で書いたのは分からない。本気でココア・ミラージュ推しで書いただけかもしれないし(笑)

こん感じで、読めない女・川上未映子にすっかりハマったのでした。

 

 

内向型を強みにする(Marti Olsen Laney, 2013(原著発行2002年))

内向型を強みにする

気持ちが悪い。吐き気がする。それに頭が痛い。

わたしは帰宅ラッシュの電車の中にいた。人が多すぎる。むっとした変なニオイがする。うぅぅ…

 

会社でも気分が悪かった。

365日咳をし続けているオジサンの咳払いがうるさくて、総務のオジサンが何度もわたしのデスクの横を行ったり来たりして、上司から2回も電話がかかってきた。そういえば、事務の人が大した用もないのに、わざわざデスクまで話しかけに来たな…

 

お願いだから、わたしの周りをウロウロしないで。お願いだから、耳障りな音を立てないで。お願いだから、わたしのエリアに踏み込まないでー!

 

とまぁ、こんな感じで絶不調な日が月に1、2日ある。

 

音や匂いに過敏なのは昔からだけど、これを「過敏」と言うのだということは最近知った。みんなそこまで気にならないらしい。でもわたしは、むしろ周りが鈍感なんだと思っていた。え?こんなに不快なのに、どうしてみんな平気なの?

 

小さい頃から、人が集まる所がとにかく苦手だった。知らない人と話すのが苦手だった。頭がいっぱいになって圧倒されてしまうのだ。色々考えてから発言すると、何だか相手と話が噛み合ってない気がして落ち込む。そのくせ、楽しくなるとベラベラ話し過ぎて後悔する。たくさんの人と交流した後は、決まって頭がボーッとして引きこもりたくなる。

 

この「他人に圧倒されてエネルギーが吸い取られる」感覚をみんなは感じてないんだとしたら、わたしは頭がオカシイか病気なんだろうと本気で考えたことがある。わたしはコミュ障で神経症で躁鬱で社会不適合なんだと諦めていた(それで諦めるのもなかなか図太いな)。でも、少数派ではあるものの、仲間がいることが分かった。

 

わたし、内向的なんです!!!

 

この本の著者も内向的だというだけあって、「内向的であることはただの性質。悪いことじゃないわ!」という励ましが力強くて涙が出そうになる。そう、この世の中では、外向的で怒られることは99.9%ないが、内向的だと99.9%怒られたりウザがられたりするのである(主に外向的な人たちによって)。

 

開き直りじゃなくてちゃんと直せよ!なんて声も(外向的な人たちから)聞こえてきそうですが、内向的な人と外向的な人では脳の働き方からして違うというんだから驚きである。

 

第一に、内向型の人の脳へ流れる血液量は、外向型の人より多かった。血流量が多いということは、より多くの内的刺激を得ているということだ。ちょうど指を切ったときのように、体のある部分への血流量が増せば、その部分は必ず、通常より敏感になるのである。(本著第3章より引用)

 

どや!こちとらめちゃくちゃ頭使ってるんじゃ!バカにすんな!(強気)

 

特にこの第3章の良いところは、「科学的に」内向性と外向性の違いを説明しているところである。ここにこの本の価値があると言っても過言ではないと思う。

 

小さい頃から怒られノロマ扱いされてきた内向人間にとって、「あなたはあなたのままでいいのよ」なんていう生温くて無責任な励ましも無用だし(じゃぁ人前でニコニコできないことを悪く思わないでくれ)、「どうやったら外向的に振る舞えるか」なんていう押し付けがましいアドバイスも苦痛なのである(そんなこと言われなくても”嫌になるほど考えてる”っつーの)。

わたしに必要なのは、自分は決して鈍いわけでも病気でもないという「確信」であり、わたしの脳みそはきちんと動いているんだという「自信」だった。科学的根拠と、著者のカウンセラーとしての実績から来る的確な励まし。この2つが、わたしに確信と自信をもたらしてくれたのだ。

 

内向人間だって、人と交流することが大嫌い!というわけではない。今までの失敗体験(と思い込んでること)のせいで苦手意識がついているんだ、とこの本を読んで気付いた。内向人間は、傷付いた経験を頭の中で増幅させがちである。

自分の特性を知って、正しくコントロールすること。内向人間で言えば、パーティでは必要であればトイレに逃げ込み(笑)、頑張った後はしっかり休むこと。自分のペースで楽しむ方法を見つければ大丈夫!

 

そして、子育てをしている人には全員に読んでほしい。この本には、内向人間のことだけではなく外向人間についての記述も多い。子どもがどっちの気質なのか知っているだけでも、子育ての問題が解決するかもしれない。

すべての子どもたちが伸び伸びと、自分の個性に自信をもって育ちますように!

 

がんばれ内向人間!!!

 

エスター(Jaume Collet-Serra, 2009)

エスター [Blu-ray]

 2月初めの土曜日の夜。真っ暗な部屋の中、わたしは布団に包まりながら苦い表情をしていた。この映画を見た後である。

 

この日はなぜか体が鉛のように重く、早々に予定を切り上げて帰宅した。熱を測ったら38.3度。考え得る限りの手を尽くした。でも、眠くはない。本を読むほど頭は働かない。横になったまま出来ること…で、映画を選んだ。

 

Huluの映画リストをスクロールさせながら、「おすすめホラー映画まとめ」的なサイトでこの映画がなかなかの高評価だったことを思い出した。あまりネタバレを気にしないタチなので、結末も調べてしまった。ホラー映画でネタバレってどうなの、とよく言われるが、良いホラー映画はネタバレなんて関係ないのである。

 

ということで、エスター。原題はOrphan、孤児だ。

 

良い子だと信じて引き取った孤児エスターが、なんだかおかしい。いや、絶対おかしい。やばい!やばすぎる!

 

という素直な展開。しかしその理由はなかなかファンキー(?)だ。予想してたよりもだいぶファンキーな娘だった。もともと根深い問題を抱えている上に、あっちの問題も解消されず、屈折に屈折を重ねてしまったんだなぁ…と苦笑いしかできなかった。

 

ただ、ただね。見終わってから色んなシーンを思い返すと、うわぁぁほんとはあの時こう思ってたんだぁぁ…と気付いたりして、どんどん嫌な気分になるんですよ。

 

あぁやっぱり人間がいちばん怖いね…と、暗闇の中で眠りに落ちたのでした。

晴れたら空に骨まいて(川内有緒、2016)

晴れたら空に骨まいて

私たちの感情は、どこから生まれるんだ?

 

先日、人工知能についての本を出版している人たちのトークショーのようなものに行ってきた。

人工知能って何やねん、という話になると当然、知能って何やねんという話になるわけだけど、知能が何なのかハッキリ定義されていないらしい。ということで、人工知能の定義も曖昧なままだ。

 

議論はもはや「人間とは何ぞや」「私とは何ぞや」「自我とは何ぞや」まで発展して、完全に哲学的な領域に入ってしまった。そして、ヒトの“知能”を人工的に再現しようとしたとき、「身体を伴わない人工知能に感情をもたせることはできるのか」という議論が生じる(そもそも定義のハッキリしない言葉を使っているんだから、もちろん議論は収束しない笑)

 

身体を伴わないということは、死や痛みが伴わないということ。それをなくして、感情は存在し得るのか?

 

近代化した社会に生きる大半の人々にとって、死は突然やってきて早急に処理されなければならないものだ。

養老先生曰く、遠い昔は、行き倒れた人の死体が道端に転がっていることは珍しくなく、死んでから腐って朽ちて白骨になるまでの過程が日常に晒されていたらしい。今は、腐乱死体が見つかるとニュースになったり、ニュースにならないまでも関係者によって早急に始末される。テロや大災害が起こっても、たぶんそこには多くの死があるんだろうけど、映像で伝えられることはあまりない。

 

生を謳歌するために、私たちは死を遠ざけている。でも、生が身体と共にある限り、死も常に共にある。

 

この本の大きなテーマは「散骨」で、愛する人の骨をその人の愛した場所に還した人々のストーリーが紡がれる。著者も、愛する父の骨を海に散骨している。

散骨というとギョッとする人もいるかもしれない。でも、身体を自然に還すことで、愛する人の死を受け入れるというプロセスが少しは緩やかに、穏やかに、納得のいくものになるんだと思った。そして、命はやがて果てるものだと実感できる。

 

この本には、生と死が詰まっている。それでも重苦しさはなく、軽やかでいて温かい。命というのは本来こういうものなんじゃないか、と思わされる。他者から愛され他者を愛し、触れ合いながら、喜怒哀楽をゴチャ混ぜにして生きて死ぬ。これはやっぱりカラダがあるからこそだよなぁ。頑張って生き抜いたカラダを好きな場所に還してあげるなんて、すごく深い愛情表現だわ。

 

私が死んだら、私の骨も自然に還してもらおう。場所はどこにしようか…と考える前に、それだけのことをしてくれるぐらいに、誰かと信頼関係を築かなきゃいけないですね!