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ミニマリスト見習いのアラサー女。最小化計画の進捗と、本・音楽・映画の感想

携帯小説をめぐる批判について

今日の新聞の読者投稿欄に、「携帯小説を批判するのは間違い」という女子高生の意見が載っていた。

自分の知らない危険な世界を携帯小説を読んで知ることでやめようと思うことができるとか、なんだかよく覚えてないけど(そして読み直す気もないけど)見当はずれな意見だと感じた。

そもそも、批判するのは間違い、という意見が間違いなんじゃないのと思う。批判するのは人の勝手であって、人の行動には基本的に「間違い」はないだろう。内容が社会的規範や倫理に背いているとか、そういう判断基準はあるけど、批判すること自体は間違いではない。

そして、携帯小説を批判する人(私を含む)は、大抵の場合、その類の本が社会に及ぼす影響などには興味なく、ただ単に「日本語がひどい上に内容がつまらない」という理由で、小説としての出来を批判しているだけだと思う。

レイプ、妊娠、ドラッグ、中絶、病気、死というきわめてワンパターンな要素しかないがために、その展開を読むのは非常に容易で、「小説家」が書いた小説に読みなれてる人間にしてみれば、何も面白いところがない、と言っているだけだ。それらの過激(?)な展開を利用していることには、特に何の感想も抱いていない。別にそれらの要素を盛り込んで、とても面白ければ、誰も何も文句は言わないだろう。逆に言うと、そんなテーマをふんだんに盛り込んでいるにも関わらずまったく面白くない小説しか書けないのだから、その作者は小説家として最低レベルだということ。

なにより、携帯小説には文章に無駄が多い。
まるでテレビドラマをそのまま文章に書き起こしたようなもので、はっきり言って、「小説」である必要がない。さらに、それがおかしな日本語や誤字で書かれているのだから、もうどうしようもないなぁ、といった感じ。

最後に。
「危険な世界を知るきっかけになっているのだから、
 日本語が間違っているとかいう理由で
 携帯小説を批判するのは間違っている」
という意見。
危険な世界を知るきっかけになっていることと、小説の日本語がおかしいということは、何も関係がない。つまり、論理が破綻しているから、この主張はおかしいよね。ま、自分が携帯小説好きだから擁護した、ってだけだろうけど。