ミニマリズムと読書ときどき映画と音楽。

ミニマリスト見習いのアラサー女。最小化計画の進捗と、本・音楽・映画の感想

安部公房 「砂の女」

砂の女 (新潮文庫)

砂の女 (新潮文庫)

およそ3年前のある日。研究室にて。

教授:「きみは砂の女みたいだな」

私:「は?何ですかそれ?」

教授:「安部公房の『砂の女』を知らんのか、ムフムフ」

私:「知らない・・・どんな話ですか?!」(ムカムカ)

教授:「砂の中に住んでる女の家に男が囚われるんだが、逃げられるようになっても結局そこにいついてしまうって話だ」

私:「・・・その女みたいってどういうこと・・・」

教授:「ムフムフ」


完全に不真面目な態度で研究室生活を送っていた私は、まぁそりゃ何度も教授と衝突していたわけだけど、教授は時々ムフムフしながら嬉しそうに、私に唐突な言葉を投げかけてきた。
この年の秋口ぐらいから読書するような精神的余裕がなくなったんで読まずじまい。最近ふと思い出して、ついに「砂の女」の正体を確かめた。


主人公の「男」は、昆虫採集が趣味の教師。ある日、誰にも行先を告げずに、砂に生息する虫を探しに行く。そこは集落全体が砂に支配されたような不思議な場所だった。集落の老人の計らいで、ある女の家に一泊することになったが・・・


勝手にエロい話だと思ってたら、全然そんなことはなかった。とはいうものの全体的にねちっこい雰囲気で、それが何とも言えないいやらしさを作り出してはいる。三島のいやらしさとは違う、もっと「人間のにおい」がぷんぷんしてくるような作品だった。


集落は、ただそこにあるだけで、どこにも属していない。ただ自分たちの生活があるだけで、それ以外はどうでもいいというような空気が漂っている。自分たちの生活は、砂を中心に周っている。しかし、家を崩したり腐らせたり、自分たちを疲弊させてばかりのくせに、砂自身は風に吹かれて留まることはない。

砂の集落から抜け出そうとしない人たちをおかしいと思うものの、結局は自分も何かにしがみついて生きていることに気付く「男」。
絶えず流れる砂と、何かにしがみつくしかない人間。その対比がすごく鮮明で、人間がすごく愚かしい存在に思えた。


さて、先生が私を「砂の女みたいだ」と言った意図は何なのか。
「きみは生きていく気があるのか」「きみは地に足がついていない」「きみはフワフワしすぎだ」
と、当時さんざん言われたことから考えると、「この世」に属してない感じが似てるってことだったんじゃないかと思う。
あの頃はともかく、今はしっかり地に足つけてますよ!と報告しに行こうかな。またムフムフってバカにされそうだけど。


安部公房(1924.3.7 - 1993.1.22)
東京府北豊島郡滝野川町(現:東京都北区滝野川)生まれ(本籍地は北海道旭川市)。少年期を満州で過ごす。
高校時代からリルケハイデッガーに傾倒していたが、戦後の復興期にさまざまな芸術運動に積極的に参加し、ルポルタージュの方法を身につけるなど作品の幅を広げ、三島由紀夫らとともに第二次戦後派の作家とされた。作品は海外でも高く評価され、30ヶ国以上で翻訳出版されている。

主要作品:小説『壁 - S・カルマ氏の犯罪』『砂の女』(読売文学賞受賞)『他人の顔』『燃えつきた地図』『箱男』『密会』戯曲に『友達』『榎本武揚』『棒になった男』『幽霊はここにいる』など
Wikipediaから引用)