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ミニマリズムと読書ときどき映画と音楽。

ミニマリスト見習いのアラサー女。最小化計画の進捗と、本・音楽・映画の感想

Charlie Hebdoのテロ事件について

今月7日、パリで惨劇があった。またテロが起こってしまったとガックリした。大好きなドラマBONESで、ムスリムであるバジリが「テロによって僕たちの信仰も奪われた」と嘆いていたのを見た直後だった。平穏に暮らすムスリムがいることを忘れてはいけない。

とりあえず、宗教問題は私の理解の範疇を超えたところにあるので、これ以上言及しない。この事件に関しては、色んな意味で「いい加減にしろ」という思いだけだ。

Charlie Hebdoは、別にイスラム教だけを標的にしていたわけではなく、様々なトピックの風刺画を掲載していたようだ。そして事件後、ムハンマドと思われる男性(一般的なムスリムを表しているだけかも)が"Je suis Charlie"(私はシャルリ―)と書かれた紙?を持つ表紙が公表された。男性の上には"Tout est pardonné"という言葉。
この言葉の解釈について、翻訳者の間では以下の記事が話題になっている。

この人の解釈がある程度合っているとして、「ほんとにいい加減にしろ」と思った。
襲撃の対象となり仲間を失った作者からすれば、すべて忘れたいというのは当然だと思う。でも、許すにしても赦すにしても、誰に対して同意を求めているのかよく分からない。

一般のムスリムからすれば、そもそもこんなことを提案?される筋合いはないだろう。おそらくパリで差別を受けひどい目に合ってるのは彼らのほうで、自分たちは悪いことをしていないからだ。
テロリストに対して「チャラにしよう」と伝えているとは思えない。だったら、このメッセージには一体何の意味があるんだろう。ムスリムはみなテロリストになり得ると考えているのか?この期に及んでまだvs全イスラム教徒を提示しているのか?

結局はイスラム教信者を尊重する気がないんじゃないかと思う。そういう考えがそもそも無いのかもしれない。少なくとも、ムハンマドの風刺画を見る限り、そのような気持ちを持ち合わせているとは思えない。

理解はできなくても尊重と寛容があれば、こういう事件は起こらなかったと思う。あとは、誰に何をどう伝えるのかってことがいかに大事かを思い知らされる事件だった。