ミニマリズムと読書ときどき映画と音楽。

ミニマリスト見習いのアラサー女。最小化計画の進捗と、本・音楽・映画の感想

海の向こうで戦争が始まる(村上龍、1980)

 

海の向こうで戦争が始まる

海の向こうで戦争が始まる

 

 今日は猫の火葬の日だった。死んでから丸3日経っても、見た目の変化はほとんど無かった。立ち上がって伸びでもしそうだと思った。棺の中で花に囲まれて焼かれて残った骨は、牙も、爪を支えていた骨も、背骨も、足の骨も、本当にしっかり残っていた。でも、骨だけじゃ何も動かない。全ての生命活動が停止したんだと初めて理解できた。生きることは、個体がエネルギーを生み出すこと。死ぬことは、個体から全エネルギーが消失すること。期待は消えて、いくらか苦しみも消えた。

この本を読んでいるときに死を実感させる出来事があったことに、何か意味はあるんだろうか。そう思ってしまうほど、この本には生と死が詰まっている。

主人公の「僕」は海辺で水着の女と出会う。海の向こうに稜線を見つけ、女と僕はそこにあるであろう町の話を始める。その町では、少年3人がゴミ山で桃の種を探し、大佐が女を買い、衛兵が家族とサーカスに行き、洋服屋が母の病気に絶望している。祭りの熱気が狂気へと姿を変え、やがて町では戦争が始まる。

すっっっごく久々に村上龍を読んで、あーそういやこんなドロッドロに濃い感じだったよなぁと懐かしく感じた。ちょっと軽めの小説を読もうと思って、本棚の中でいちばん薄い本を選んだ結果がこれ。1ページあたりの重みが半端じゃない。
海辺でコカインやってる僕と女の映像からハチャメチャな町の映像に、流れるように切り替わっていく。村上龍の場面描写はほんとに色が濃いというか、ギットギトの油絵で出来た映画(何だそれ)を観ているような感覚に陥る。高校時代にインザミソスープを読んで食あたり状態になったのを思い出した笑

町の描写が現実離れしているおかげで、祭りからの流れで戦争が始まるという奇天烈な展開も違和感はない。いや、違和感はめっちゃあるな…でも祭りがどんどん血に塗れていって群衆の興奮がみるみる高まっていく勢いに押されて、え?戦争?え?そ、そっか!戦争か!って納得させられてしまう。戦争を煽動する大佐の演説も、熱くなったものを冷ますために戦争があるんだ!みたいなこと言ってるけど論理が大崩壊でとりあえずひどい。でも町は勢いに逆らえない。勢いって怖い!僕と女は異様にまったりした平和な空気の中にいるから、温度差が際立って変な気分になる。

現実感のない町で繰り広げられるグロテスクな生と死と、現実に起こった大切な存在の死。レオシリーズから生と死について考えさせられ続けているんだけど、これはいったい何なん…次こそ爽やかなの読もう(´ー`;)