ミニマリズムと読書ときどき映画と音楽。

ミニマリスト見習いのアラサー女。最小化計画の進捗と、本・音楽・映画の感想

教養としての聖書(橋爪大三郎、2015)

教養としての聖書 (光文社新書)

うーん、時間がかかった。そして結局あまり理解できなかった。あー意味不明!

この本は、東工大名誉教授である社会学者・橋爪大三郎氏が2014年に行った、聖書を読む六回講座が基になっている。
旧約と新約あわせて約50の書物(そんなに多いってこと自体初めて知ったわ)の中で、旧約から3つ(創世記・出エジプト記・申命記)と新約から3つ(マルコによる福音書・ローマ人への手紙・ヨハネ黙示録)が取り上げられている。
結果的には「これを信じる意味が分からん」で終わったけど、何に違和感を感じるのかが分かる程度に、説明は分かりやすい。初心者にはピッタリだと思う。

率直な感想としては、新約聖書キリスト教)より旧約聖書ユダヤ教)のほうが分かりやすいというか、頭に入ってきやすい。律法という、比較的シンプルなものが主体だからだろう。新約聖書は尾ひれ背びれが付きすぎ。

旧約聖書には選民思想が色濃く出ているけど、世界に広めるためにその選民思想を無理やり無くしたのが新約聖書って感じかな。その過程があからさまに書かれているのが「ローマ人への手紙」。これを書いたパウロはもとはゴリゴリのユダヤ教徒で、キリスト教徒の迫害までしてたというから驚きだ。論理の破綻を情熱(妄信?)で乗り越えてます!という印象だった。これを信じるんだからキリスト教ってやっぱり意味不明(笑)

出エジプト記の中で、預言者モーセが神ヤハウェに食って掛かる場面が何度か出てくる。ここで橋爪氏が「神と言い合えるんだから、人間と言い合うなんて何ともない」と解説しているのが面白かった。
狭い島国の中で人間どうし向き合ってきた日本人と、人間を超えた神という存在と向き合ってきたキリスト教徒。良い悪いの話ではなく、やっぱり根本が違うんだなぁ…