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ミニマリズムと読書ときどき映画と音楽。

ミニマリスト見習いのアラサー女。最小化計画の進捗と、本・音楽・映画の感想

ひとを〈嫌う〉ということ(中島義道、2003)

ひとを〈嫌う〉ということ (角川文庫)

こんなに〈優しい〉本は初めて読んだ…!

 

私は小さい頃から感情を隠せない人間だった。だった、というか今もあまりできない。好きな人の前ではニッコニコだけど、イヤだなぁと思うと表情は曇るし、口数も減るし、「どうやってここから逃げようか」ばっかり考えてしまう。

 

大抵は一時的なものだけど、不快感が長期間積もり積もるか、嘘をつかれるなど決定的な何かをされると、イヤが嫌いになる。そうなると、もう関係を切るしかないとなる。

「短所ではなく長所を見ろ」とはよく言われるけど、その人自体を見たくないんだから短所も長所も関係ない。その人と関わり続けてもマイナスしかない。なぜなら自分にとってその人そのものがマイナスだから。でも憎悪とまではいかず、私の見えないところで勝手に生きてる分には問題ないんだよね。

 

ひとを嫌うということが、嫌われた当人にとってはいかに理不尽であるか、しかし嫌う者にとってはいかに当然であるか

 

そうそう。「嫌い」という感情は常に自己中心的であり、だからこそ他者嫌悪と自己嫌悪はリンクせざるを得ないのである。「周りの人たちの9割は嫌い」という(人間として終わってる)レベルまで達していた思春期の私が読んだら、きっと膝を打ちまくりだったに違いない。

 

第3章の「嫌いの原因を探る」では、嫉妬や軽蔑など色んな感情が網羅されているけど、嫌いの原因を探ること自体が一種の責任逃れであることもきちんと指摘している。人を嫌うほど自分も嫌われるというのも、当然の結果なわけです。

 

かと言って、人を嫌うということについて散々悩んできた身としては、中島氏と同じように、全てに蓋をするのはムリ!という思いもありまして。譲れる部分と譲れない部分のバランスをとっていくことが大事ってことですよね…と胸にじんわりきた。

 

いつも個人の信念を確認することより、それを滑らかに平均化して、毒を抜くことばかりに勤しんでいる。気がついてみると、いつも穏やかな宥和状態が実現されている。それはそれで価値あることですが、真に対立を直視した後の宥和ではありませんから、そこには噓がある。無理がある。思い込みがある。幻想がある。

 

さすがに最近は〈嫌い〉まで達することはほとんどなくなったけど、全く嘘のない関係というのはやっぱり難しい。大人ってほんとグレーゾーンだらけ…と、悲しくなることも多々ある。この孤独を受け入れられるようになったら、真の大人になるんだろうなぁ。